“お金”の真実 1 ~お金のカルマが愛の繋がりを塞ぐ~

 

今回は、お金というものについて、スピリチュアル的な観点でお話しさせていただきます。

この世界のスピリチュアルという分野では、お金について、とりわけたくさんの議論がなされ、様々な意見が述べられています。

ここでお話しいたしますことは、それらの是非を問うものではなく、レイファム独自のチャネリング情報として公開いたします。また、今回お話しする内容の前提として、これから述べるお話は、お金をどうすれば得られるのか?というものではありません。
さらには、お金を得ることは良いことなのか?悪いことなのか?という善悪を問うものでもありません。

この世界の“お金”、そして“経済”というものは一体どういうものなのか。
その真実について、お話ししたいと思います。

 

 

私達は、お金がたくさんあると喜び、足りないと感じるときには苦しみを感じます。

また、多く持っていると“奪われる”不安を感じたり、たくさんもらうことに罪悪感を感じることもあるかもしれません。

さらに、お金はタダで受け取るものではなく、物品や奉仕(サービス)に相当する対価として存在するものですから、お金を求めるということは、自らがなんらかのものを与えるという行動に直結します。またお金がない(払えない、払いたくない)という理由で諦めなければならないこともあるでしょう。人は、お金のためにあらゆる行動を決定し、またお金によって制限される行動があるのです。

 

これらのことから言えるのは、お金は私達の心や生き方を大きく揺り動かすものであるということです。

特に、お金によって発生する不安は強烈なものです。

避けがたいものであり、だからこそ、人生において行動を選択するとき、ほとんどの人は経済的な安定というものを重要視します。

スピリチュアルの分野でお金を得る方法が説かれるのも、人々の根底にお金に対する不安があるからかもしれません。

 

 

事実として、お金というものは簡単に得られるものではありません。

しかし、お金がなくても不安にならない方法が、一つだけあります。

それは、自分が何かを欲しい(必要)と思ったときに、それが無償で与えられる人間関係がそこにあることです。

食料、住居、医療サービス等、全ての豊かさが無償で手に入れられる。与えようとしてくれる人々と共に生きている。
…というような状態があれば、私達はお金がなくても、不安のない人生を送ることができます。お金はもはやその意味を失い、その場に捨てることさえできてしまうかもしれません。

とはいえ、誰もが「そんなことは不可能だ!」とお思いになることでしょう。

たしかに一人でそれを行うのは不可能なことです。

人々がお金に困らなくなるには、多くの人々が同時にお金というものを排除したうえで与え合うことが求められるのです。

ここで、人々に無償の愛があるのか?ということが、非常に重要になってきます。

 

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人々が無償の愛を持つことができれば、皆がお金の不安から解放されるわけですが、今この社会では“お金”が存在しています。(売買契約によって与え合う状態ができている、とも言えます。)

すると、お金を払う側、もらう側の間に、“愛というものが存在するのか?”ということを見る必要がなくなります。

いまのこの社会では、お金というものがあるからこそ様々なものを手にすることができるわけですが、
(サービスをする側)と(される側)との間に、が存在しているのか?がわからなくなってしまうのです。

細かく例を挙げれば、

(購入する場合…) その相手は自分に“与える”ことを快く思っているのか?

(勤務して給料をもらう場合…) 自分の所属する会社は自分のことを大切にしようという気持ちがあるのか?

(労働の対価を得る場合…) 本当はやりたくもないことを、お金のためだけにやっていないか?

(多くの資産を獲得した場合…) 自分の周りに集まってくる人々は、自分の財産を目当てにしていないか?

お金があることで、相手の本当の気持ちが見えないことが多々あります。

相手の本当の気持ちが見えないからこそ、相手から自分が快く思われていないかもしれないという不安の中でたくさんのお金をもらえば罪悪感が湧くこともあるでしょう。

お金というものが存在する社会というのは、お金によってあらゆる人間関係の中にある事実が覆い隠されているのです。

 

 

冒頭でお話ししたように、お金というものは私達の心や、生き方を大きく揺り動かすものですが、

本当のところは、お金によって心や生き方が左右されているのではなく、すべての人との関係性に自分というのものがコントロールされているということが言えます。

ただ、社会が悪い!と責任のすべてを他者に押し付けられるものでもありません。

例として、ある二人の人間が、「お金を渡したからこれを得られるんだ」、「お金を貰ったからこれをしてあげるんだ」という意識で結ばれていたとすれば、その二人はお金という存在を必要としている二人。二人とも愛を見ておらず、愛に悩むべき二人です。

 

そうして考えれば、お金や経済というものは多くの闇を内包しており、それは社会全体の問題ですが、個々がお金を必要とする限り終わらない問題なのです。ですから私たち一人一人がお金の問題を清算しなければなりません。

そしてそのためには、

私たちはお金に悩むとき、本当はに悩んでいる。

そのことを知らなければなりません。

そしてお金に安心するときというのは、愛に悩んでいながらも、お金があるためにそこを見なくてよいという状態を手にしているだけだということに気づかなければなりません。

 

人は子供から大人になるとき、自動的に経済のシステムに入ってゆくわけですが、子供の視点から見れば、それまでは無償の愛を得られたはずなのに、突然、愛が見えない世界へと突入してしまうようなものです。

その不安は強烈なもので、大人になって経済的に自立したとしても、そして資産がどれほど大きなものになろうとも、心のどこかに隠し持っているのです。

しかし大人になった人々は、愛が見えなくて悩んでいるのに、お金の有る無しという、物理的な問題に変換してしまうがために、社会のシステムに足をすくわれ、自由と愛を失ってしまう。

それは一つの悲劇であり、すべての人が救われなければならないテーマ(カルマ)なのです。

 

 

今回は、3次元世界のお金というものについて、非常に高い視点から観察した内容をご説明しました。

次回はお金と高次元世界との関係性についてお話しします。

 

 

 

Rayfemme

2019-04-11


 

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“お金”の真実 2 ~お金の闇と、アセンションとの関係~

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